あの大きいトランク

「でも力のある老人じゃなあ。あの大きいトランクを、軽々と担いでいくとは……」 金博士の姿は、こんどは埠頭《ふとう》に現れた。幸《さいわ》いに八千|噸《トン》ばかりの濠洲汽船が今出帆しようとしていたところなので、博士はこれ幸いと、船員をつき突ばして、無理やりに乗船して、サロンの中へ陣取った。「もしもし、どなたかしりませんが、もう船室がありませんので」 事務長がこわい顔をして博士のところへやって来た。「船室? 船室はあるじゃないか。このとおり広い部屋があいているじゃないか」「これはサロンでございまして、船室ではありません。御覧の通り、おやすみになるといたしましても、ベッドもありませんような次第です」「いや、このソファの上に寝るから、心配しなさんな」「それは困ります。では何とか船室を整理いたしまして、ベッドのある部屋を一つ作るでございましょう」「何とでも勝手にしたまえ。わしは汽船に乗ったという名目《めいもく》さえつけばええのじゃ」「え、名目と申しますと……」「それは、こっちの話だ。ときにこの汽船は何時に○○港へ入る予定になっとるかね」「はい、○○港入港は明後日《みょうごにち》の夕刻《ゆうこく》でございます」「何じゃ明後日の夕刻? ずいぶん遅いじゃないか。わしは、そんなに待っとられん」「待っとられないと仰有《おっしゃ》っても、今更予定の時間をどうすることも出来ません」「ああもうよろしい。わしは明朝《みょうちょう》には○○港着と決めたから、もう何もいわんでよろしい」「はあ、さいですか」 金博士のことを、船内では気が変でないと思わない者は、ひとりもなかった。

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