出発の肚《はら》を決めた

 と、王水険博士は、大秘密を洩《も》らして居られる。金博士にしては、かねがねその土地の風光のいいことも聞いていたので、一度はいってみたいと思っていた。そこへ旧師からの誘《さそ》いである。大先生の尊顔《そんがん》も久々《ひさびさ》にて拝《おが》みたいし、旁々《かたがた》かの土地を見物させて貰うことにしようかと、師恩《しおん》に篤《あつ》き金博士は大いに心を動かしたのであった。 かくて博士は、出発の肚《はら》を決めた。いよいよ上海を出発したのが、それから一週間の後のことであった。出発日までの一週間を、博士は出発の用意に専念した。すなわち、わざわざ大きなトランクを三つ、自製し、そのトランクの中へ、これまた博士自製のこまごましたものをいろいろと詰めこんだ。まことに手数のかかった出発準備であった。私たちが旅行するときには、デパートへいってファイバーのトランクを一つ買い、あとはテンセンストアで、一つ十銭の歯ブラッシや雲脂取《ふけと》り香水や時間表や蚤取粉《のみとりこ》などを買い集めてそのトランクの中に叩きこんで出かける手軽さとは、正に天地霄壌《てんちしょうじょう》の差があった。 さあ、金博士の後を、われわれは紙と鉛筆とを持って追いかけることにしよう。

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 最初金博士は、三つのトランクを担《かつ》いで飛行場へ駈けつけたが、直ちに断わられてしまった。「まことにお気の毒ですが、こんな重い大きな荷物は、会社の飛行機には乗りませんので……」「大きいけれど、そんなに重くはないよ」「……それに御行先《おゆきさき》の方面は只今気流がたいへん悪うございましてエヤポケットがナ……それにもう一つ残念ながら御行先の方の定期航路は一昨日《おととい》以来当分のうち休航ということになりましたので……それに……」「ああ、もうよろしい」

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