職業というものは尊いものだ

 職業というものは尊いものだ。なぜなら、そこにその人の一生が賭けられ、生活が賭けられているからだ。金銭もかけられている。だから尊いので、金銭のかゝらないものは尊くない。 生活が賭けられ、一生が賭けられるから、職業に全人格が投入せられ、職業上に精神の安定をもとめ、ショウマンとして洗錬されたマナーも生れてくる。 アマチュア・スポーツが職業スポーツなみに騒がれると、その結果として現れるものは妖怪的な実相で、古橋や橋爪が学生的に銀座の店で物を売るよりは、職業人としてそうする方がどれだけ割りきれて美しいか分らない。美というものは割りきれていなければならないが、アマチュア・スポーツの英雄というものは、まことに妖怪的なものである。 要はアマチュア・スポーツの在り方の問題で、日本に於ては、スポーツは各人がこれを行って楽しむものではなく、見物して楽しむものであるところに不健康さの元があるように思われる。 応援団などゝいうものも、原始的に好戦的なまことにダラシなく野蛮なものである。これもつまりは、自らスポーツを楽しまずに、人のプレーを楽しむ不具的な習性から出ていることだろう。 朝日新聞の文化賞では、アマチュア・スポーツに授賞せず、プロ・スポーツに授賞するのが至当だが、スポーツの授賞の標準が世界新記録ということなら、これ又、滑稽千万な標準で、記録に表現できないスポーツはどういうことになるのだろう。レスリングやボクシングはどうなのか。チェスのようなゲームはどうなのか。スポーツだけで、ほかのゲームは違うというなら、これも滑稽。チェスはとにかく、囲碁や将棋や相撲は? これらはもしも世界的に名人戦をひらけば、碁に於ける呉清源はとにかく、たいがい日本人が選手権をとるだろう。これはスポーツの新記録ほど価値がないのかな。 水泳フリー千五百の一八分一九秒はまだどんどん破られるだろう。陸上百|米《メートル》の十秒三が二か一ぐらいになると、ほゞ人間の限界に達して破ることが至難になろうが、長い距離は陸上水泳に限らず、限界は遠く先にあって、まだ当分はヤマが見えない。 文化賞の授賞などゝいうことには、ひろく深い識見が必要で、ジャーナリズムの新人は必ずしも新人ではない。 私の経てきた半生のうちで、現代は、ともかく最も素質ある新人の揃っている時代のようであり、その新風もかなり劃然と一つの新時代到来を感じさせるものがあるようである。新人に良きものなしなどゝ云うのは頭の悪いジャーナリズムとグチッぽい老人どもの云うことである。

— posted by id at 03:51 pm  

T: Y: ALL: Online:
Created in 0.0360 sec.

http://gamewag.com/